Introduction
一般的な機械操作や道具操作といった動作の熟達は、自身の動きを直接目で見て確認できる「可視タスク」であり、視覚情報が極めて重要な手がかりとなります。視覚は強力かつ即時性の高い情報源であり、動作の意思決定の多くはこれに強く依存していることが知られています。しかし、歌唱は自身の声帯や喉の動きを直接見ることができない「不可視タスク」です。視覚的な外部フィードバックが直接寄与しないため、熟達という観点では一般的な可視タスクとは違った難しさがあります。
学習者は、一般に「耳」や「感覚」と言われる聴覚や身体の内的感覚に頼らざるを得ませんが、これらは捉えどころのない「暗黙的な情報」であり、歌唱動作の手がかりとしにくいものです。したがって、歌唱の熟達という運動学習の文脈において、この「不可視性」が大きな課題となります。
そこで本研究ではIdeal Self Emulation(ISE)を提案します。ISEは、熟練者の理想的な歌唱パターンを学習者自身の声質に変換し、リファレンス(お手本)として提示するフィードバック手法です。本研究の最終的な目標は、マルチモーダル歌唱熟達支援システムの構築です。具体的には、ISEによる聴覚フィードバックに加えて、骨伝導や喉頭部振動刺激といった触覚フィードバックを統合することで、不可視タスクである歌唱の熟達を効果的に支援します。

Ideal Self Emulation(ISE)の概要図:原曲のお手本では発声動作をイメージしずらい一方で、ISEは上手い自分の歌唱をお手本とするので発声がイメージしやすいことを示している。
method
本研究で提案するISEは、熟練者の歌声を学習者自身の声質へ変換し、リファレンス(お手本)として聴覚フィードバックする手法です。自分の声質で提示されることで、音の認知と発声の模倣が容易になり、模倣(Emulation)を通じた学習促進が期待できます。また、人間は自身の声を空気伝導と骨伝導の両方を通じてモニタリングしています。そのため、ISEの提示においても骨伝導経路を含めることで、学習者が日常的に聴いている自分の声により近い形でリファレンスを提示でき、さらなる効果向上が見込まれます。
さらに本研究では、この聴覚フィードバックを補強する触覚的アプローチとして、喉頭部への振動刺激を提案します。技能の熟達において、自己主体感(Sense of Agency)は重要な要因であり、特に喉頭部への振動刺激が「発声している」という感覚、すなわち発声自己主体感(Vocal Sense of Agency)を向上させることが確認されています。ISEによる理想的な歌声パターンに対応した振動を喉頭部へ提示することで、学習者は発声動作を身体感覚として捉えやすくなり、効果的な歌唱学習が期待できます。
